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闘病記(2004年〜)

<誕生から病気の発覚まで>
2004年6月〜12月
体重3、120g、身長49,9cmのルナが生まれた。手足をバタバタさせ元気に泣いて出てきたルナが、五体満足だったことで安心したのを覚えている。

その後無事に一ヶ月検診を終え、順調に成長していて、母子ともに健康で一安心。
生後二ヶ月の頃には、助産師さんの訪問があり成長発達を見てもらう。身長、体重ともに平均的な増え方をしていて、ごくごく普通に成長している。

9月末に100日を迎え、写真を撮りに行ったけど、泣いて中々撮れず、結局次の週にまた撮りに行く。親がぐったりだった。

10月には、四ヶ月検診で保健センターへ。特に問題なく、無事に終える。この頃、初めて寝返りをする。人見知りも激しくなり、両親以外に中々抱かさらなく、大変だった。離乳食を少しずつ始めてみる。それほど嫌がらずに、食べている。

股関節脱臼の疑いで、整形外科にかかるが異常なし。
予防接種も始まる。それほど泣かずに頑張りました!

12月に初めて、熱が出て近くの小児科にかかる。

特に何事もなく、生後6ヶ月を迎える。

<病気の発覚から最初の病院での入院生活>
2004年12月〜
初めての風邪が治り始めた頃、目の黄疸が気になり近くの小児科に行った。
大きな病院を紹介され、すぐに受診する。

病院では触診で肝臓が腫れていることがわかり、詳しい検査をすることになる。検査の結果は肝臓に腫瘍があり、そのせいで肝臓が腫れているということだった。一人で医師の説明を聞きながら、頭の中では「死」と言う言葉がよぎり、まったく実感がなく、すぐには受け止められなかった。少し落ち着くと、涙が出てきた。
たくさん自分を責めた。でも責めても責めても、結果は変わらない。泣いてばかりいられない!今、ルナのために出来ることを一生懸命してやろうと決めた。もう、泣くのは終わりだ。

2004年12月18日〜
この日から、初めての入院生活が始まった。
慣れない環境、採血や点滴での痛い思い、人見知りも重なって、
夜もあまり寝ないし、泣いてばかりだった。
腫瘍があることで肝臓が腫れていると診断され、病名をはっきり
させるために詳しい検査が行なわれた。私たちはただただ、
少しでも良いほうにと、その腫瘍が良性である事を願った。

結局、採血やその他の検査でも、確実な結果が得られず、翌日
肝生検をすることになった。5cmほどお腹を切り、直接腫瘍細胞を
取るということ、その際のリスクなどが説明された。病名をはっきりさせるためとはいえ、やっぱり「どうしてこの子ばかり辛い目に・・・」と言う思いは消えなかった。

肝生検が行なわれた日、ルナを抱いて手術室に連れて行った。一人病室に戻り、気持ちは落ち着かない状態だったから、2時間弱の手術時間がとても長く感じられた。無事に手術が終わったことを聞き、看護師さんと手術室に迎えに行く。この日は、一日中辛そうな顔をして、寝ても覚めても泣いていた。
その後4、5日で『肝芽腫』という悪性腫瘍の病気だということがはっきりした。

<抗癌剤治療から生体肝移植手術>
2005年1月〜4月
抗癌剤治療を受けるために、12月末から大学病院に転院することになった。入院生活もまた振り出しに戻った。初めての薬や、常に点滴をして過ごすこと、四苦八苦しながらも徐々に新しい環境での入院生活にも慣れていった。
ルナの場合、抗癌剤治療は3クール行なわれた。最初の治療では、吐き気、食欲不振といった副作用がそれほど強くは現れなく、髪の毛もそれほど一気には抜けなかった。ただやっぱり、血液のデータはどんどん下がり何度か輸血をしなければいけなかった。治療後の採血では、腫瘍の値が半分近くに減り、治療が効いているとわかり少しホッとした。
1回の治療終了ごとにCTを撮り画像でも腫瘍の大きさを確認。今回はそれほどの変化が見られなかった。この後、2回目の抗癌剤治療をすることが決まり、外泊が許可された。
約一ヶ月ぶりの我が家への帰宅は私にとっては本当に嬉しかった。でも、ルナが少々風邪気味で調子が良くなく、夜もあまり寝なかったから、少し大変だった。

何とか無事に3泊4日の外泊を終え、病院に戻り2回目の治療が始まる。
2回目は、髪の毛が抜け始め、お尻や肌が荒れたりした。今回も何度か輸血は必要だった。風邪気味にもなり、何度か吐いていた。やっぱり少しずつダメージがあるんだと思った。
この頃、歯が生えてきてお座りも一人で出来るようになり、おしゃべりも沢山するようになった。こんな状況でも、ルナなりのペースでちゃんと成長していることが親として本当に嬉しく思った。

2回目のCTの結果は、以前よりはだいぶ腫瘍が小さくなってきたが、まだ切除が出来る状態ではないということだった。そして、次もまた同じ抗癌剤治療をすることが決まった。ほんの少しずつだけど、確実に前に進んでいて安心した。
待ちに待った2回目の外泊は、ルナが病院生活に慣れてしまっていたから、私が少し離れるとぐずって、夜泣きもひどかった。ルナにとっても少し大変な外泊だったのかもしれない。それでも私は、家に帰ることで気分転換が出来ていたと思う。

前回より少し長めの外泊を終え、次の日から3回目の治療が始まった。
3回目の治療の時も何度か吐いたりしていたけど、食欲は変わらずしっかり食べたり飲んだりしてくれていた。さすがに髪の毛はほとんど抜けてなくなり、今回も輸血はかかせなかった。それでも、機嫌がよい時が多くて同じ部屋の子達と遊んだりするようになってきた。
この3回目の治療の結果次第では、『生体肝移植手術』ということも考えられると言うことが、担当医師から言われた。一番最初の治療の説明の時に、最終的には『移植』と言う手段もある、ということは聞いていたが、この時のルナの状態で『移植』と言う話が出るとは思いもしなかった。
結果、MRIも撮る事になり、腫瘍部分だけの切除は難しいと判断された。そして、『生体肝移植手術』を受けるという方向で進めていくことになった。

<生体肝移植手術から一時退院>
2005年4月〜8月
生体肝移植手術を受けるため、私もドナ−の検査を受ける。初めてCTなどのルナが今まで受けてきた検査を自分も受けてみて、あの小さい体でよく頑張っていたなあとつくづく思った。やっと、少しだけルナの辛さを実感できた気がした。
私の検査結果は、ドナーとして大丈夫な肝臓だった。そして外科に転科して、ルナと一緒により詳しい検査を受けた。検査がない日には外泊をさせてもらった。様々な検査を終えて、無事に手術日も決まる。

5月16日手術前日、ドナーの私も入院して色々準備をする。術前の説明や処置でバタバタしていて、緊張する暇も不安になる暇もなかった。ただただ、ルナが無事に元気になることだけを願った。
そして5月17日手術当日、朝から処置を受けて家族に見送られ、私のほうが一足先に手術室に向かった。
手術は、ドナーの私で約8時間、ルナで約13時間で無事に終わった。私自身そこから、2、3日は痛みやいずさで記憶があいまいで、次の日車椅子でICUにいるルナに会いに行ったことさえ、あまり覚えていなかった。この2、3日が一番痛みやいずさがひどく辛かった。
ルナは、すぐにICUから病棟に移ることができ、ここからパパの付き添い生活が始まる。ルナが病棟に移ってからは、ほとんどをルナの病室ですごした。小さい体に大きな傷、沢山の点滴や管、わかってはいたけど改めて目の前にすると、見ているのが辛かった。本人も体の自由はきかないし、痛いしいずいし、辛かったと思う。夜も泣いて中々寝なかったり、ひどい下痢をしていて、夜中もおむつ交換をしなくちゃいけない状態だったから、付き添いをしていたパパは精神的にも肉体的にも大変だったと思う。それでも、3週間ルナと一緒に本当に頑張ってくれていた。改めて、パパに感謝!!その後、私の付き添い生活が再開する。

移植手術から、1ヶ月が経ってもルナの腹水は減らず、ドレーンが抜けない状態が続いた。
ちょうどこの時、ルナ1歳の誕生日を迎える!家ではなく病院で迎えたことは残念だったけど、同じ病室や病棟にいる友達に祝ってもらい、嬉しかった。何より、ここまで色々あったけど何とか無事に1歳を迎えることが出来て本当に良かったと思った。

その後も腹水は中々減らず、血管を広げる手術を2回受けるが特に目立った改善もなく、ただただ入院期間が延びていくばっかりだった。周りの子達が退院していく中で、自分たちだけ家に帰るめどさえ立たない事が辛く、ストレスになり、「家に帰りたい!」と言う思いが日に日に強くなっていった。そんな私の気持ちを医師や看護師さんたちが気遣い、1泊と言う条件で外泊の許可が出た。
術後約2ヵ月半ぶりに家に帰ることが出来た。家でも、ルナのドレーンの処置をしなくちゃいけなかったけど、そんなことは苦にならないくらい嬉しかった。本当にいい気分転換になった。病院に戻ると、嘘の様に腹水が減っていきドレーンが抜けるめどが立った。と同時に「退院」と言う言葉を、医師の口からやっと聞くことができた。その後は、予定通りに外科を退院した。移植手術後、丸3ヶ月もかかった。予想以上に時間がかかり、疲れやストレスで辛い思いもしたけど、ルナ自身もパパもみんな本当によく頑張ったと思う。

<予備治療から退院>
2005年8月〜10月
外科を退院して一週間後に小児科に入院し、最後の抗癌剤治療を2回行なった。
1回目の治療では、お尻がひどく荒れた事と、採血やら点滴やらで機嫌が悪く慣れるまで大変だったこと以外は、吐くことや食欲不振も無く、前回の治療より元気に過ごせた。
この頃、つかまり立ちや伝い歩きが出来るようになる。周りの子達に比べたら、だいぶ遅い成長なのかもしれないけど、色々制限されている中でルナなりに成長しているのが本当に嬉しく思う。

一週間近くの外泊後、最後の治療が始まる。2回目の治療では、下痢がひどくて便も頻回になる。後半は微熱が出て、風邪気味だったりもした。点滴も長持ちしなくて、何度も刺し換えをしなくちゃいけなかった。それでも、移植手術後に飲んでいた薬も順調に減り、拒絶などもなかった。血液の腫瘍の値も平常値を維持し、無事に予備治療も終えて、退院することが出来た。

まだこれからも通院はしなくちゃいけないし、薬も飲み続けなきゃいけないし、病気との闘いは続く。でも、この退院でやっと一歩踏み出せたような気がした。一年弱の入院生活は私たち家族にとって、本当に長くて沢山の試練があった日々だった。ルナ自身が本当に良く頑張ってくれて、パパや親族、一緒に入院していた人たちや、医師、看護師さんたちに励まされ、支えられてここまでこれたと思う。本当に沢山の人たちに感謝している。ルナが元気になって、また家族三人で暮らすことが出来るようになって、本当に本当に良かった。

<退院後の生活>
退院後すぐは、2週間に1回の通院になる。毎回特に変わったこともなく、身長や体重も入院中以上に順調に増えていった。
この頃、少しずつ一人でも歩けるようになり、色々な物に手が届き興味を示すようになったから、危なくないようにしなくちゃいけないと改めて実感した。
そして、冬は特に風邪やインフルエンザに気を付け、ストーブにも注意しなくちゃいけない。これからの家での生活も色々な事に気を配んなきゃいけないと思った。
それでも、クリスマスや年末年始を家族三人で家で過ごす事ができて、本当に嬉しかった。

<新年を迎えて>
2006年1月無事に家での新年を迎える。この月から外来受診が月に1回になる。
2,3月は、熱が出たり風邪症状があったりで、外来受診以外にも数回受診した。インフルエンザや拒絶ではなくただの風邪だったけど、油断は出来ないなぁと思った。何より本人が辛そうだったのが可哀想だった。この頃、私自身も二人目の妊娠発覚で、つわりがひどく体調が良くなかっただけに結構辛かった。それでも、節分、ひな祭りと去年の分までイベントを満喫した。

<新年度になり・・・>
だいぶ暖かくなってきた4月には、外に散歩に行った。靴を履いてはまだまだつたない歩き方だけど、自分で歩きたがりベビーカーはそろそろ卒業かなぁと思った。言葉も少しずつはっきりしてきた。日々成長していることを実感し、嬉しい気持ちになる。

4月10日、朝から下痢と嘔吐を繰り返し、食べ物も受け付けなくなって、病院に行った。脱水予防と色々詳しく調べるため入院することになる。結局、ウイルス性の腸炎という事がわかり、高い熱も出たりして一週間も入院していた。久しぶりの入院生活は、ルナにとっても苦痛だったみたいで泣いてばかりいた。
その後は、順調に月1回の受診だけで過ごし、移植手術後一年の検査も無事に終える。免疫抑制剤も1日おきになり、術後の経過はすごく順調でこのままの状態を維持してくれればなぁという風に思う。

6月2歳の誕生日を迎える。色々あったけど、なんだかんだいってここまであっという間だった気がする。元気になって2歳を迎えることが出来て、本当に良かった。これからも元気に年を重ねていってくれることを心から願っている。

<新たに発覚>
わりとしっかり歩けるようになってきたのと同時に、足のO脚が目立ってきた。ひざがひどく開いている。7月の受診で担当医師にみてもらう。採血、レントゲン、尿検査の結果『くる病』と診断された。元々の『肝芽腫』という肝臓の病気と、一年近くの入院生活が原因ということだった。治療としては、薬を飲み経過を見ていくということになった。特に入院、手術をしなければ治らないと言うことではないけど、どうしてルナばっかりこういうめにあわなきゃいけないのか、なぜ・・・と言う思いでいっぱいだった。それでも、ルナ本人に痛みや苦しみがないことが唯一の救いだった。

この夏は暑い日が続き、ルナも夜は寝苦しかったようで何度も起きていた。動物園や公園に行ったり、家の前で初めてビニールプールで水遊びをしたり、外で焼肉をしたりもした。今まで出来なかった分、これから色々させてやりたいと思う。

8月移植後の予防接種のことで受診した時に、言葉の発達の遅れを指摘された。これも長い入院生活が関係していると言うことだった。脳や口に障害があると言うわけではないとのことで、少しホッとしたけどそれでもまたどうして・・・と言う思いがこみ上げてくる。色んな部分が成長発達する時期の長い入院生活が、ルナにこれほど大きな影響を与えるとは思いもしなかった。ルナにとってとても大事な時期を、病院という限られた空間の中で過ごしていたことが、本当の意味で大変なことだったんだと改めて感じた。

<お姉ちゃんになる>
9月予定日を間近にしつつも出てくる気配のなかったチビ助が、ようやく動き出したのが予定日の前日の朝だった。その前の日から妹が泊まりに来ていた。それもあってか、ルナが早朝5時くらいからぐずり始めその後中々寝付かず、寝室を離れ居間に連れて行き、一緒に横になった。安心したのか、その後ルナは寝付いた。そして7時くらいから、陣痛が始まった。もしかしたら、ルナはこの時出産が始まることを気付いていたのかもしれない・・・。その後10分おきくらいになったところで病院に連絡、遅番だったパパと妹を起こし、病院に行く準備を始める。この日から、ルナは私の実家で始めてのお留守番をする。
私は、その後5時間くらいで長男『ユーゴ』を出産!ルナの時よりは、時間もだいぶ短くて安産だった。それでも、あの何物にも変えがたい痛みだけは二人目になろうとも相変わらずだった。ユーゴがお腹にいる時はつわりもひどく、治まってきたと思ったら体重がどんどん増え、手足のむくみもひどく、貧血で鉄剤も出され、予定日一ヶ月くらい前に逆子になっていたりと、ルナのときとは大違いで色々な事があった。それだけに、無事に出てきてくれて本当にホッとした。
久しぶりに見る新生児はこんなにも小さかったかなと思うほどに小さくて、綿菓子みたいに軽くてふわふわしていた。改めて、命の重さ尊さを実感した日だった。
4日間の入院後、実家に帰った。久しぶりのルナとのご対面は、私のほうが泣き出してしまいルナはポカーンとしていた。こんなにルナと離れていたことは初めてだった。いつもは、手がかかり一人になりたい時もあるけど、こうして離れてみると妙に寂しく感じる。自分でも勝手だなあと思う。
ユーゴとの対面も最初は、変な様子だったルナも少しずつ慣れていた。ルナも少しずつお姉ちゃんになっていこうね!!

10月は、ルナが受けていなかった予防接種を受けるため計画を立ててもらう。これから、ほぼ毎月予防接種に通うことになる。半年近くかかる予定だ。
ユーゴの一ヶ月検診に行く。とりあえず今のところ異常なし!ただ、ルナのことがあったから手放しでは喜べない私たちがいる・・・。今後も元気に成長して!!!と願うばかりだ。

11月には、ルナとユーゴを連れて初めて散歩する。ルナがいつの間にか玄関の鍵を閉められるようになり、ちょっと外に出ている隙に締め出しを食らってしまった。これからは、布団を干すにもゴミを出すにも鍵を持って歩かなきゃいけない!!気をつけなくっちゃ。
私が乳腺炎になり、39℃以上の高熱を出す。久しぶりの高熱で、かなり辛かった。産科に行き、マッサージをしてもらった。おっぱいは痛いし体は辛いし、食生活や生活のリズムを見直そう・・・もうこりごりだ。
ルナがインフルエンザの予防接種を受ける。全く泣かなかった。えらいえらい!ユーゴはあやすと笑うようになる。「あー、あー」と声も出すようになった。こんなに成長が早かったかな。

<2006年締めの月>
12月6日、ルナの下痢がひどく熱もあり、本人も「ぽんぽん痛い」と訴え、病院に行く。脱水とのことで入院することになる。一度家に帰り、ユーゴを私の実家に預け準備をして再び病院へ。久しぶりの点滴が足に入り終始泣きっぱなし。この日から絶食になる。
12月7日、朝の採血で大暴れして点滴が抜ける。飴とジュースがOKになる。ルナは熱も下がり、点滴もなくなり、飴を食べれてだいぶ機嫌がいい。でも、下痢が中々治まらず、お尻がすごく荒れている。
12月8日、昼から食事が出るようになった。食事をとってみて便の形状に問題なければ、退院だ。特に問題なく、次の日に退院することが決まった。
12月9日無事に退院。ユーゴを迎えに行く。ルナ、入院頑張りました。ユーゴ、留守番頑張りました。最後の最後で体調崩したけど、入院も短かったし、拒絶やインフルエンザとかじゃなくて良かった。
退院数日後ルナは2回目のインフルエンザの予防接種を受け、また別の日は移植後一年半のCTの検査を受ける。
12月はクリスマスパーティーにも行く。ルナも大喜びだった。家でもケーキを食べ、プレゼントを開けクリスマスを満喫した。年末は、パパの実家へ2泊3日帰った。ユーゴは初めての車での長旅だった。ルナはここでも大騒ぎ。じーちゃん、ばーちゃん、パパの妹ちゃんに沢山遊んでもらって、あっという間の3日間だった。
来年も家族4人元気で楽しく仲良く過ごせますように・・・・・・・
いい年になりますように・・・・・・・・・・・・




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